日本の昔話 浦島太郎 なぜ正しいことをしたのに酷い目にあったのか?
日本の昔話は幾つか並べてみると通底する
思想があるが、比較的異質なのは浦島太郎だろう。
なぜ、正義の為に立ち上がって正しいことをしたのに酷い目にあったのか?
それは竜宮城に行くという成功体験があったからこそで
登り詰めるということはつまり没落のはじまりでもある。
実は昔話のハッピーエンドはサクセスではないし
単に正直者や正しいものが勝つという話でもない。
成功ではなく恩寵を得ている
花咲爺さんや舌切り雀は、悪いお爺さんが
後追いでサクセスルートで辿ろうとして失敗する。
現代でも誰かが三年寝かせておいた
ビットコインが爆上がりしたとしても
それを後追いで真似した人が爆死する話はよくある。
これくらい正しいことをしたら見返りがあって
しかるべきだ、というのは実は
「悪いお爺さん」寄りの思考で
それゆえに正義を行動原理におくと恩寵からは遠ざかる
神は細部に宿る。
それこそ、わらしべ一本を菩薩の賜物と感じられ
その上でそれを簡単に手放せるという
素朴かつ玄妙なスタンスだと恩寵を得られる。
それは昔話という事例集でしか説明できないような
センシティブな領域だろう。
「要するに」とマニュアル化した瞬間に悪いお爺さんになってしまう。